展示:「華山画譜 上・下」

華山画譜 上・下
渡辺華山/筆
京都 : 芸艸堂, 1982

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【華山画譜について】
南画のうちに西洋画法も採り入れた、江戸文人の代表とされる渡辺華山の個性が遺憾なく発揮された画集です。
山鳩、雀や魚、果物など、大胆な筆致で描かれた全二十四図の折本です。
※芸艸堂 “商品紹介 華山画譜” http://www.unsodo.net/search/info.php?isbn=9784753810574(2018年8月31日参照)より

【渡辺華山について】
家老にして絵画も蘭学も究めた渡辺華山
渡辺華山(1793~1841)は、江戸時代後期の田原藩士で、政治家・文化人として活躍しました。天保の大飢饉では貧しい藩内から一人も餓死者を出さず、幕府より唯一表彰を与るなど藩政の中枢を担う傍ら、画家、蘭学者としても当時を代表する人物となりました。
江戸の田原藩邸に生まれた華山は、藩の財政難等により貧窮の中で育ちました。そのため得意であった絵を売って、少年時代から生計を支えるようになります。
当時から迫真的な肖像画や描き手の体験を生き生きと伝える風景スケッチなどが人気を博し、 国宝「鷹見泉石像(たかみせんせきぞう)」や多くの重要文化財、重要美術品を残しました。今日でも線を主体とした東洋画に西洋画の立体、質、遠近などの面による構成を取り入れた功績は高く評価されています。
また藩内で海防掛を担当したことから諸外国の脅威を感じ、西洋情勢や蘭学に興味をいだき尚歯会に参加します。高野長英らとともに蘭学研究の中心人物として活動し、「蘭学にて大施主」と呼ばれるまでになります。
しかし1839年幕府非難の咎(蛮社の獄)で逮捕され、田原での蟄居を命じられます。蟄居中も絵を描き、生活費を得る為に頒布会を行いましたが、それを咎められ2年後の1941年、自刃により49歳の生涯を閉じました。